読書感想文:理解できないままおいておく


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長い文章を書いたり、自分の考えをまとめる機会が減ってきて
やべえな〜〜〜〜とおもったので読書感想文を書いてみようとしたのです。
 


 
読んだ本
・橋爪大三郎,
 「はじめての構造主義」 (講談社現代新書), 講談社, 1988/5/18
・小田亮,
 「レヴィ=ストロース入門」 (ちくま新書), 筑摩書房, 2000/10
・Claude L´evi‐Strauss (原著), 川田 順造 (翻訳),
 「悲しき熱帯〈1〉」(中公クラシックス), 中央公論新社, 2001/05
・Claude L´evi‐Strauss (原著), 室 淳介 (翻訳),
 「悲しき南回帰線(下)」 (講談社学術文庫), 講談社, 1985/12/5

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本を読む前に解決を期待した疑問
 
①思い込みの激しいひとに会うと、
「自然数論を含む帰納的公理化可能な理論が無矛盾であれば、自身の無矛盾性を証明できない。」
という不完全性定理のふたつめが思い浮かんで
わたしに人間同士は理解しあうことはできないという結論に陥らせる。
わたしたちはそれぞれに無矛盾だとおもっているから。
(もちろん比喩で人間は数学理論ではない)
 
②オッカムの剃刀は、「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」
というが、それは人間が理解する(しやすく)するために観測された世界を
丸めてしまっているのではないか。
わたしたちはそもそも「理解できうること」しか理解できない。
 
③心の理論におけるシミュレーション説では、
自分を相手の立場に置いて模擬することで他者の心理を理解できる能力を獲得するという。
では、ずっとひどく扱われてきたひとはどうなる?
ひとは全て他人を貶めようとすると常々いうひとは、いじめられた経験を話した。
 
———
 
わたしはいま、ときどき紙の上ではないデザインの仕事をしていて、
(しくみを考えたり、体制を考えたり、しかけを作ったりして,
 要するに企画屋のようなことをしている。)
わたしにとってこの仕事は、人間の生き方を考えることととても近い。
人が求めるものはなんなのか、どうすれば続けられるのか、その先になにがあるのか、
人に参加してもらって、時間やお金やこころを使ってもらって
人の人生をまきこんでしまう以上は、
ハッピーな方向に行けるように、あるいはアンハッピーな結末を避けるように
ガイドすることがデザイン屋の義務だとおもう。
それで人間に関する本なんか読んで、いつか民俗学/人類学に辿り着いた。
 
誤解のないように書いておくと、
民俗学は珍奇な風習や奇妙な風俗をあつめて
ただ記録したり楽しむことそのものが目的なのではなくて(そういう面もあるが)
人間が何を指向し、どのように行動するのか、そしてそれはなぜなのかを
理解するために様々な時代や地域を比較し、俯瞰するためのものである、と思う。
(折口さん関連の本で書いてあったと思うんだけど出典が見当たらない)
だからか人類学という名前で呼ばれたりすることもある。
 
人類学の名著といわれている「悲しき熱帯」とかいう本を、
読まなきゃいけないんじゃないの…と思いながら、
読んでさっぱりわからなかったらどうしよう…という気持ちもあってほったらかしにしていた。
感想文を書くことを自分に課して、読む前にズルをして解説書まで読んでからやっと読むことができた。
はじめに「はじめての構造主義」を読んだのが大正解で、こっちだけでもよかったかもしれない。
 
「悲しき熱帯」はフランスの人類学者であり、構造主義の旗手である
レヴィ・ストロースが1955年に刊行したエッセイ集である。
内容はブラジルや南米の現地レポートに加え、彼の思想や思い出などが折り混ざる。
レヴィ・ストロース、当時のヨーロッパ文明を進化した文明とし、
他の文明を”未開”として格下に置く潮流(エスノセントリズム[自民族優越主義])の中、
その思想そのものに批判を行い、各文化のたがいの差異を優劣としないことを
「構造主義」という新たな方法を提示することで行った。
 
この「構造主義」というのは
それまでヨーロッパがヨーロッパのもともと持っていたものさしで
他のものを分断してほらこんなにおかしいね野蛮だね、といっていたのをやめて、
計ろうとするものの中に入って、その中にある繊維をたぐり寄せながら
ここはそういう構造です、という記述をし、
その優劣は問題にしないのである。(という理解をした)
これをきっかけに「多様性」なんていう言葉がでてきたりするのである。
 
わたしの疑問に無理矢理適用すれば、
ものすごく頑迷な変わり者がいて、
何を聞いても、何をしても、攻撃的な反応しかかえさない人だとして、
そのひとの中ではそのひとなりの構造があって、
そのように行動している理由があるのである。
 
で、どうするの、と思う。
正直にいうと得たものは少なかった。
いまでは当たり前すぎる。いろいろな本で既に読んだことも多かった。
思いながらだからこの本以前とこの本以降では
世の中の動きは変わったのだろうと感じ取れる。
でももっと一般的な階層では変わっていないじゃないかとも思う。
自分の理解できないものを、自分の理解出来る方法で
無理矢理に切り刻んで、あれはダメだのいうじゃないか。
いいたくなる気持ちもわかるじゃないか。
お互い、自分の理論を守る反応はどうしても出てしまうだろう。
 
わからないものをこちら側の理論でなく、
わからないものの中にある構造で紐解くというのは
なかなかナイスなアイデアだ。みんなができれば。
「面白い」や「楽しい」の後ろの直接は見えない場所に
薄くこういう考えをいれて、たくさんの人が触れられるようにするのがいいのかもしれない。
 
「世界は人間なしにはじまったし、人間なしに終わるだろう」とストロースは最後にいう。
たしかにそうだが、わたしの世界は人間のいるあいだに終って、
しかも人間のあいだでなにかをつくったりしてお金に換えなくてはいけない。
どうせならおもしろいものを作りたいし、ゴミをつくるくらいなら寝ていたい。
 
 
■読んだ本